今日は2つのお話だった。透明性と真実。リアルな話と概念的な話。透明建築は一時期建築界を席巻していたが、昨今は一段落した感がある。一方真実は建築に限らず、常に世の中の議論の中心に位置している。そこで今日のお題はこの後者について考えて貰う。しかし現在何か問題を設定した時にそこにおいて真実が唯一存在するということはなかなか考えにくい。正しいこととは常に相対的なものだという考え方が主流である。ではその相対的なものの考え方とは何なのか?それは場当たり的ということの言い換えではないのか?
そこでお題「建築における真実はないとしても相対的にものを考えていく上での骨となるようなことはいのか?」これはとっても難しい質問である。しかし頑張って答えて欲しい。